14年経っても成長しない
2005年6月25日スマコン札幌初日、取れました。
2日目は申し込んでないので(口数ないんで)、ボチボチ探します。無理だったらカニ食って寝ようと姉は言ってますが、両日行けてもカニ食うでしょ、やはり。姉上、ウニ・イクラは嫌いだし(カニ味噌も嫌いらしい。私は前回二匹分のカニ味噌食ったよ・・)、食える物が限定されるのだ・・この人は・・
14年前の6月3日4時頃かな?島原の寿屋駐車場から見た空は、半分真っ青で、半分真っ黒でした。
普賢岳の最初の大火砕流時の報道陣の望遠カメラやら機材が色々出てきたと先日のニュースでやってました。
なんだか、原爆資料館で見た変形したビンや金属用品を思い出しちゃった。溶けたり歪んだり、災害の状況がよくわかるというか・・災害の翌日に立ち入り出来るギリギリのとこまで、車で行ってみたのですが、その時も原爆思い出したんだよなあ。
14年かあ。あの日、すごく自己嫌悪した日なんで覚えてるよ。
初めに噴火してから大火砕流直前まで、島原に大勢押し寄せてきた報道関係者はテンション異常に高かった。正直、うっとおしかった。
外港近くのファーストフードの隣席で、大声で笑いながらしゃべる報道関係者にイライラした。
なんか、デカイの来い!デカイの来い!とワクワクして待ってるんかい!待ってるんだろ!特ダネ取れればええんやろ!
嫌らしいぞ!てめえら!噴火の被害にあって死んだら本望だろ!・・と数日前にホントに日記に書いていた。ホントです。
だからなあ・・すごく自己嫌悪した。
言霊ってあるのかもしれないって。
災害前のマスコミのワクワク感ってのは確かにありました。
記者魂全開で、やるぜやるぜ〜ってムードははっきりありました。みんな浮き足立ってた。
でも、災害後の悲壮感にみちた報道関係者の姿は別人でした。
んで、真剣になって本来の記者魂を持って仕事につかれてました。大変だったろうね。
(まあ、被災者も入ったらダメなとこに入り込んで写真週刊誌に記事を出すバカもいたけどね)
2回目の大火砕流の時、ドアが簡単に開かなくなった車の中で(灰がへばりついてね)、ニュース速報を〜とつけたラジオからプロ野球の実況が聞こえてきて、「あ〜、神宮球場あたりでビール飲みてえ〜」と、とっさに思った。
あの状況で。
だから、多分、自分の本当の最期の時って、ホントにくだらない事考えてるんだろうなあ〜と思うな。
それでいいんじゃないかな〜と。
そのほうが成仏できそうな気がするべ。
「バク天」の企画で、お父さんとはもうお風呂に入らない宣言シリーズ、おもしろいね。
お父さん達、ホントに悲しい顔するの。ははは。
私は10歳位までパパンと二人で入らされてましたよ。
すぐのぼせて倒れるから怖いので・・とは母の弁。
でもなあ、ウチの父、子供にも容赦なく熱々風呂につけこむんだぜ!自分の好みにつきあわせるな!父!!
つうわけで、恥ずかしいつうのは全然なかったけど、あの熱い風呂から逃げれるようになったのは嬉しかった・・
(しかし10年後、東京都の銭湯で熱い湯に苦しまされるのだった←都の条例かなにかで熱い温度が決まってたらしい。現在はわかりません)
2日目は申し込んでないので(口数ないんで)、ボチボチ探します。無理だったらカニ食って寝ようと姉は言ってますが、両日行けてもカニ食うでしょ、やはり。姉上、ウニ・イクラは嫌いだし(カニ味噌も嫌いらしい。私は前回二匹分のカニ味噌食ったよ・・)、食える物が限定されるのだ・・この人は・・
14年前の6月3日4時頃かな?島原の寿屋駐車場から見た空は、半分真っ青で、半分真っ黒でした。
普賢岳の最初の大火砕流時の報道陣の望遠カメラやら機材が色々出てきたと先日のニュースでやってました。
なんだか、原爆資料館で見た変形したビンや金属用品を思い出しちゃった。溶けたり歪んだり、災害の状況がよくわかるというか・・災害の翌日に立ち入り出来るギリギリのとこまで、車で行ってみたのですが、その時も原爆思い出したんだよなあ。
14年かあ。あの日、すごく自己嫌悪した日なんで覚えてるよ。
初めに噴火してから大火砕流直前まで、島原に大勢押し寄せてきた報道関係者はテンション異常に高かった。正直、うっとおしかった。
外港近くのファーストフードの隣席で、大声で笑いながらしゃべる報道関係者にイライラした。
なんか、デカイの来い!デカイの来い!とワクワクして待ってるんかい!待ってるんだろ!特ダネ取れればええんやろ!
嫌らしいぞ!てめえら!噴火の被害にあって死んだら本望だろ!・・と数日前にホントに日記に書いていた。ホントです。
だからなあ・・すごく自己嫌悪した。
言霊ってあるのかもしれないって。
災害前のマスコミのワクワク感ってのは確かにありました。
記者魂全開で、やるぜやるぜ〜ってムードははっきりありました。みんな浮き足立ってた。
でも、災害後の悲壮感にみちた報道関係者の姿は別人でした。
んで、真剣になって本来の記者魂を持って仕事につかれてました。大変だったろうね。
(まあ、被災者も入ったらダメなとこに入り込んで写真週刊誌に記事を出すバカもいたけどね)
2回目の大火砕流の時、ドアが簡単に開かなくなった車の中で(灰がへばりついてね)、ニュース速報を〜とつけたラジオからプロ野球の実況が聞こえてきて、「あ〜、神宮球場あたりでビール飲みてえ〜」と、とっさに思った。
あの状況で。
だから、多分、自分の本当の最期の時って、ホントにくだらない事考えてるんだろうなあ〜と思うな。
それでいいんじゃないかな〜と。
そのほうが成仏できそうな気がするべ。
「バク天」の企画で、お父さんとはもうお風呂に入らない宣言シリーズ、おもしろいね。
お父さん達、ホントに悲しい顔するの。ははは。
私は10歳位までパパンと二人で入らされてましたよ。
すぐのぼせて倒れるから怖いので・・とは母の弁。
でもなあ、ウチの父、子供にも容赦なく熱々風呂につけこむんだぜ!自分の好みにつきあわせるな!父!!
つうわけで、恥ずかしいつうのは全然なかったけど、あの熱い風呂から逃げれるようになったのは嬉しかった・・
(しかし10年後、東京都の銭湯で熱い湯に苦しまされるのだった←都の条例かなにかで熱い温度が決まってたらしい。現在はわかりません)
コメント